Allison, Anne, 2006, Millenial Monsters: Japanes Toys and the Global Imagination, The University of California Press.(=アリスン,アン,2010,実川元子訳『菊とポケモン――グローバル化する日本の文化力』新潮社.)のメモ。
原題の「Millennial Monsters」という言葉は、Millennial Generation(2000年頃に社会に進出してきた1980年前後の生まれの世代)という言葉におそらく由来しており、この世代が受容した「たまごっち」「セーラームーン」「ポケットモンスター」などの日本製モンスターが、米国製品が席巻するグローバル市場で受け入れられたかを、制作者、仲介者(メディア)、消費者へのインタビューや、ファンコミュニティへの参与観察、文献調査等で得られたデータの分析に基づいて考察しています。
邦題の『菊とポケモン』は、いうまでもなく、ルース・ベネディクト『菊と刀』を模していますが、菊の話はいっさい出てきません(注)。多神教の文化があり、かつ欧米諸国に遅れて近代化を達成した日本では、人間と非人間(動物や機械など)、科学と伝統、合理性と非合理性、現実世界と異世界が、欧米のように明確に区別されているというよりは溶け合っており、また、機械や動物にも生命や人格が存在するというアニミズム的な解釈枠組がある、と主張されます。また、このような枠組のもとで、人間と機械、人間と怪物(妖怪)、現実世界と異世界が入り交じり、ときには共存するような物語、たとえば、「ゴジラ」「ウルトラマン」「ドラえもん」「ポケットモンスター」「攻殻機動隊」のような作品が生み出されているのだ、と主張されています。また、人間、機械、怪物、あるいは妖怪が、共存したり、さまざまな関係を結んだり、あるいはこれらが溶け合った存在が作られたりすること、つまりどのような要素の結びつきも禁止しない「日本的」スタイルが、あらゆる文化への柔軟な適応を可能にし、「ゴジラ」や「ポケットモンスター」のような日本のコンテンツの世界的受容を可能にしたのだ、ということを、「多様変容(多形倒錯)」や「デジタル・アニミズム」という概念を用いて説明しています。
「日本の子供向け娯楽商品が世界的に知名度を獲得し、子供の大衆文化市場でグローバルな成功を成し遂げたのは、多様に変容していく魅力があるからなのである。…日本の子供向け商品は、そのアイデンティティ、テリトリーや商品のトレンドを変化させながら、世界中いたるところに普及している。」(34頁)
「「日本的」なスタイルは、現実世界と異世界が複雑に絡みあい、相互に行き来することが可能で、理性的な、もしくは認識できる方法ではとらえられないさまざまな存在によって世界は動かされているとする美学が働いている。」(34頁)
出口弘・田中秀幸・小山友介編『コンテンツ産業論』でも、日本の超多様なコンテンツと多神教(タブーの少なさ)との関係が指摘されておりますが、アリスン氏はさらに、急激に近代化(西欧化)を遂げた地域では、伝統的なものと近代的なもの(たとえば科学技術)が結びつき共存する傾向があったことを指摘し、グローバルな文化が日本でいかにローカライズされたか(あるいはその逆)を示しています。日本のコンテンツをローカルな文脈からのみで、あるいはグローバルな文脈からの影響のみで語る立場の双方を退けているわけです。「ヘタリア」「艦隊これくしょん」などの「擬人化」作品や、ハトと恋愛する「はーとふる彼氏」のような(欧米的価値観から見れば)奇妙な作品、妖怪たちと人間が暮らす幻想世界での事件を描いた「東方Project」のような作品も、著者が指摘する「日本的」スタイルとの関係から、またグローバルなものとローカルなものの相互作用という視点から分析が可能であるように思いました。
個人的にもっとも興味深かった点は、「ドラえもん」や「ポケットモンスター」のような、想像によって作られたキャラクターの源流には、江戸時代以前から人びとの間で語り継がれ絵巻物が作られ、また近代化を遂げた明治時代以降にも日本の伝統として継承され愛されてきた虚構の存在――「妖怪」――がいる、と指摘している点です。
「ポケモンはモンスターではあるが、17、8世紀の江戸時代の民話や文学に数多く登場する妖怪と、多様性と数の多さを誇る点で共通項がある。たとえば『百鬼夜行絵巻』はポケモンと同様手引書として妖怪を図録化している」(289頁)
著者は、他の「ポケットモンスター」研究と同じく、ポケットモンスターを妖怪との類似性に基づいて分析していますが、2014年には、人間と妖怪が共に住む世界や、妖怪とテクノロジーの結びつきを描いた「妖怪ウォッチ」という作品が日本で大ヒットしました。この作品が日本で作られ受け入れられた要因や、この作品がアジアや欧米で受容されうるかといったテーマを考える際にも、本書は有益な視点を提供してくれるように思います。
(注)著者が日本語版後書きで邦題を批判して書いている通り、本書は、永続的に変わらないローカルな国民性から日本の特異なコンテンツが生み出されている、と主張する本ではありません。
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