2017年5月19日金曜日

「各学術領域の視座からみたデジタルゲーム研究論文」の「社会学」の項目(転載)

 2016年に、「各学術領域の視座からみたデジタルゲーム研究論文」という共著論文が、日本デジタルゲーム学会『デジタルゲーム学研究』8巻1・2号合併号に掲載されました(渋谷明子・七邊信重・藤本徹・三上浩司、17-23頁)。この論文のうち、私は「社会学」の項目を書かせて頂きました。この原稿は、2014年夏に行われた同学会の夏季大会での発表を発展させたものです。
 
 原稿を書いた2015年2月頃、私は国内のローカルな「ゲーム研究」と海外の「Game Studies」の断絶に諦めを感じていたのですが、イェスパー・ユール『ハーフリアル』翻訳などをきっかけとして、日本でもようやく海外のGame Studiesへの注目が高まってきました(東京でも同書の読書会が開催されます)。

 そこで、日本におけるゲーム研究の活性化に貢献するため、上記の原稿をブログに転載します。社会学やメディア研究の方から見て物足りない点なども多々あると思いますので、ご意見を伺えたら嬉しいです(引用して頂けたらもっと嬉しいです!) なお、日本デジタルゲーム学会は、学会誌の投稿規定で採録後の掲載原稿の転載を許諾しています。

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1 ゲームに対する4つの社会学的アプローチ
 ゲームに対する社会学の接近の仕方は、大きく4つに分類できる。1つは、ゲームの本質、ゲームや遊びのような非日常的行為の多様性、これと日常的行為(労働など)の関係に注目する研究である。こうした研究を、ここでは「ゲームの形式 (注1)に関する研究」と呼ぶ。
 2つ目は、ゲームの制作者や仲介者(メディアなど)、プレイヤーの関心や社会関係の特徴を、社会学の概念を用いて分析する研究である。ゲームは、それを制作・仲介し、プレイする人間の意図や行為能力を前提にしている。それゆえ、ゲームの制作や消費といった(相互)行為を、社会学的に分析することが可能である。こうした研究を「ゲームと社会関係に関する研究」と呼ぶ。
 3つ目は、ゲームの表現の分析を通して、その表現が作られた社会を分析しようとする研究である。文学や音楽と同様に、ゲームには人びとが現実世界で用いていている解釈枠組や規範が利用されている。それゆえ、こうした表現やその受容の分析を通して、作品が作られた時代の特徴を解明することが可能である。たとえば、「ドラゴンクエスト」の表現分析を通して、それが作られた1980年代の日本社会の特徴を明らかにするような研究が、こうした研究の例である。社会構造(注2) がゲームに表現されていると考える、あるいは、あるゲームが人気を集めたのは、社会を構成する人びとの関心と合致していたからであると考える研究であるため、これらを「ゲームと社会構造に関する研究」と呼ぶ。
 最後に、サッカーやラグビー、チェスのようなゲームを通して社会を理解するための理論枠組を構築しようとする研究がある。人びとの社会的実践をゲームのようなものと考えたL.ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」や、経済活動をゲームのようなものと考える「ゲーム理論」と同様に、社会学でも、人びとや集団の行為や相互行為をゲームのようなものと考える研究者は多い。たとえばP.ブルデューは、経済、政治、学問、芸術などの活動が営まれる社会空間を、一定の規則に従い、手持ちの資源と戦略に基づいて、報酬を得るために争う人びとの競争的ゲームと見なし、それぞれのゲームで争われる報酬、利用される資源や参加者が用いる戦略を詳細に分析している。
 本稿では、このうち最初の3つのアプローチの代表的研究を取り上げ、それらの内容を概説する。

2 代表的研究
2-1 ゲームの形式に関する研究

  フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは、繰り返される日常の外側にある、「宗教」「夢」「戦争」のような非日常的なものを考察した。彼はその考察の一環として、「jeu(遊び/ゲーム)(注3) 」の研究を行っている。彼は『Les jeux et les hommes』[3]の中で、遊び/ゲームを「自由」「隔離」「未確定」「非生産性」「ルール」「フィクション」という要素を持つ活動であると定義する(注4)。また、遊び/ゲームを、4つ(競争/偶然/模倣/眩暈)、もしくは2つ(ルドゥス/パイディア)に分類できることを示している。さらに、遊び/ゲームと制度・慣習の関係を解明する「遊び/ゲームを出発点とする社会学(une sociologie a partir des jeux)」(注5)、つまり「ゲームと社会構造に関する研究」の可能性も示唆している。
 カイヨワの「遊び/ゲーム」の理論や「ルドゥス」概念は、ゲーム研究が物語論(ナラトロジー)や映画研究から「ルドロジー」として独立して成立する際に利用された。イェスパー・ユールは、ゲーム研究を既存のアプローチから区別する際に、カイヨワによるゲームの定義や、ルールとフィクションの対立に関する説明を参照し、これらをさらに発展させて、独自の概念体系を構築している[4]。また日本では井上明人が、カイヨワやユールらの概念を用い、またゲーム学と社会学を架橋して、ゲームと遊びに関する独創的考察を提示している[5]。

2-2 ゲームと社会関係に関する研究
  社会学は時間・空間の点で共在する人びとの社会関係(対面的相互行為)と、時間か空間の点で不在の他者との社会関係に関する概念や経験的研究を蓄積し体系化してきた。同様に、アナログ/デジタルゲームをプレイしたり制作する人びとに関する研究も発表され議論されている。
 ゲームプレイヤーの社会関係を説明する際にしばしば用いられてきた概念の1つが、アナログゲーム(カード・ボードゲーム)のプレイに注目し、時間的、空間的に共在するプレイヤーの戦略や相互行為を考察した、アーヴィング・ゴフマンの概念である[6]。ゲーリー・ファインは、ゴフマンの「フレーム」(解釈図式)概念を用いて、ファンタジー・テーブルトークRPGのプレイヤー間での現実構成や社会関係を分析している[7]。また日本では、井上俊がカイヨワやゴフマンの概念を用いて、麻雀やギャンブルなどのゲームの世界を「平等性」「明確性」という観点や、「現実世界からの離脱」という観点から考察している[8]。
 ゲームプレイヤー間の社会関係を説明する際に用いられてきたもう一つの概念が、「サブカルチャー」概念である。専門用語としてのこの概念は、「共通する実践、価値、関心を持ち、より大きな文化の中で、相互作用を通して明確な集団を形成する人びとの集まり」を意味している[9]。マウラのゲーム学入門書や、ゲームセンターに集う若者たちを調査した加藤裕康の研究は、同概念を用いて、プレイヤーの社会関係や共有価値、アイデンティティを分析している[10][11]。
 さらに近年では、集団や文化、参加者のアイデンティティの均質性を強調する「サブカルチャー」概念を批判的に検討し、プレイヤー間の多様性や階層性――典型的には「ハードコアプレイヤー」と「カジュアルプレイヤー」の相違――を説明するために、「サブカルチャー」に代わる概念を用いる研究も登場している。T.L.テイラーは、オンラインゲーマーや職業ゲーマーのように、労働のように反復的・規則的にゲームを長時間プレイするプレイヤーを分析するために、カイヨワの「遊び/ゲーム」の定義を再検討しながら、「パワーゲーマー」という概念を新たに提唱している。また彼女は、従来十分に検討されていなかった女性プレイヤーの行為や慣習を分析するため、「ジェンダー」という変数をプレイヤー文化研究に導入している[12][13]。一方、ミア・コンサルヴォは、ブルデューの「文化資本」概念を翻訳した「ゲーミング資本」概念に基づいて、ゲームプレイについての知識が多く、攻略本やWiki、独自のチート端末を利用して、ゲームを有利に進めるハードコアプレイヤーの行為や倫理を分析している[14]。なお、筆者もブルデューやコンサルヴォの資本概念などを再構築しして、「同人」「インディー」と呼ばれるゲーム自主制作者の制作活動や相互実践、両者の違い、ゲーム産業との関係等を分析している [15]。

2-3 ゲームと社会構造に関する研究
  ゲームと社会構造に関する研究は、前二者の研究に比べ、データによる実証が難しい。異なる形のオブジェクトを組み合わせて列を消すゲーム「テトリス」を、込み合っているスケジュールに新しい予定をこじ入れ、仕事のラッシュに備えて机上を片付けなければならない、仕事過多のアメリカ人の生活のゲーム的体験である、と説明するジャネット・H・マレーの解釈は興味深い[16]。しかしこの解釈が、多くのプレイヤーがテトリスに惹きつけられた実際の理由に合致しているかを実証することは難しい。ただし、ゲームからより大きな社会の姿を見いだそうとするこのアプローチは、人びとのリアリティに合致すれば、前二者の研究以上に活発な議論を喚起しうる。
 ゲームと社会構造に関する近年の研究としては、マルチエンディング型やループ型の美少女ゲーム、とりわけノベルゲームが、ポストモダン社会の構造の変化を表現していると主張した、東浩紀の社会学的著作を挙げることができる[17][18]。これらが提示した概念――「データベース消費」「動物化」「乖離的人間」「ゲーム的リアリズム」など――の有用性や妥当性については未だに議論があるが、ゲームを議論する空間を日本語圏で提供したという点で、これらは今なお価値を有している。
 一方、アン・アリスンは「ドラえもん」と「ポケットモンスター」の表現の比較分析に基づいて、1960年代から1990年代にかけての日本社会の変化を分析している[19]。なお筆者は、アリスンの考察を参照しつつ、「妖怪ウォッチ」のフィクション世界を分析し、現代日本の社会構造の考察を行っている[20]。

3 おわりに
 デジタルゲームの社会学的研究は、英語圏ではかなりの蓄積があるが、日本での研究成果はあまり多くない。本レビューが、日本における社会学的デジタルゲーム研究の増加に幾分かでも貢献できれば幸いである。


(1) 筆者は「ゲームの形式的研究」という言葉で、マウラと同様に、「ゲームとプレイの性質に注目し、ゲームの形式と機能に関する、本質的で独特な特徴を、正確に説明する概念、モデル、理論を提供する」研究を意味している[1]。
(2) ここでは、構造という概念を、社会学者アンソニー・ギデンズの用法にならって、人びとの行為を媒介する規則(解釈図式と規範)や資源という意味で用いている[2]。
(3) フランス語の「jeu」という言葉には、「遊び(play)」と「ゲーム(game)」という意味が含まれる。カイヨワの『Les jeux et les hommes』の日本語の翻訳書はこれを「遊び」と訳し、英語の翻訳書はほぼすべて「game」と訳している。筆者は日本語圏で「遊びの社会学」や「遊戯学」が盛んであるのに対し、英語圏で「ゲーム学」が盛んである要因の1つは、カイヨワの著書の訳語の違いであると考えている。
(4) 注3の事情から、カイヨワによる「jeu」の定義は、日本語の翻訳書では「遊び」の定義、英語の翻訳書では「ゲーム」の定義とされている。ユールらは、カイヨワの原著ではなく英訳書に基づいて、「game」の新しい定義を提出している。
(5) 日本語の訳書では、「遊びを出発点とする社会学」、英訳書では「a Sociology Derived from Games」と訳されている。

参考文献
[1] Mäyrä, Frans, An Introduction to Game Studies: Games in Culture, SAGE Publications, 2008, pp33.
[2] Giddens, Anthony, The Constitution of Society, Polity Press, 1984.(=門田健一訳『社会の構成』勁草書房,2015.)
[3] Roger Caillois, Les jeux et les hommes, Gallimard, 1958.(=多田道太郎他訳,『遊びと人間』講談社,1990.)
[4] Jesper Juul, Half Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds, The MIT Press, 2005.
[5] 井上明人,「遊びとゲームをめぐる試論――たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」『モバイル社会研究所 vol.13』,2008.
[6] Goffman, Erving, Encounters: Two Studies in the Sociology of Interaction, the Bobbs-Merrill Company, 1961. (=佐藤毅訳『出会い――相互行為の社会学』誠信書房,1985.)
[7] Fine, Gary Alan, Shared Fantasy: Role-Playing Games as Social Worlds, the University of Chicago Press, 1983.
[8] 井上俊, 『遊びの社会学』世界思想社,1977.
[9] マウラ前掲書25頁。
[10] マウラ前掲書。
[11] 加藤裕康,『ゲームセンター文化論』新泉社,2011.
[12] Taylor, T. L., Play Between Worlds: Exploring Online Game Culture, The MIT Press, 2006.
[13] Taylor, T. L., Raising the Stakes: E-Sports and the Professionalization of Computer Gaming, the MIT Press, 2012.
[14] Consalvo, Mia, Cheating: Gaming Advantage in Videogames, the MIT Press, 2007.
[15] 七邊信重,『ゲーム産業発展の鍵としての自主制作文化』東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士論文,2013.
[16] Murray, Janet H., Hamlet on the Holodeck: The Future of Narrative in Cyberspace, Free Press, 1997.(=有馬哲夫訳『デジタル・ストーリーテリング――電脳空間におけるナラティヴの未来形』国文社,2000.)
[17] 東浩紀,『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』講談社,2001.
[18] 東浩紀,『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』講談社,2007.
[19] Allison, Anne, Millennial Monsters: Japanese Toys and the Global Imagination, The University of California Press, 2006.(=実川元子訳『菊とポケモン――グローバル化する日本の文化力』新潮社,2010.)
[20] 七邊信重,『妖怪ウォッチが10倍楽しくなる本――妖怪ウォッチのゲーム・アニメ学』三才ブックス,2015.

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