2020年2月5日水曜日

ニトロプラス『みにくいモジカの子』感想

1年ぶりの記事投稿は、Facebookに1月に書いたゲームの感想の転載です。なお、18禁PCゲームの感想であり、不快に思う方もいるかもしれないので、そういう方は読まないようにしてください。



東京出張中の(2019年)12月30日に、ホテルでいる間、集中して仕事できそうになかったので、以前に購入したニトロプラスのビジュアルノベル『みにくいモジカの子』を遊び始めました。攻略サイトの力も借りながら、元旦にフルコンプリートしました。
 
昨年9月にDMMで行われていた「ニトロプラス ブランド設立20周年セール」で購入したゲームの一つです。以前にプレイした時には、スタート画面で酔って、プレイを中断したので、今回が2回目のチャレンジでした。
https://www.nitroplus.co.jp/news/2019/10259.php
 
『みにくいモジカの子』は、18禁PCゲームです。ニトロプラスというと、近年では『STEINS;GATE』『魔法少女まどか☆マギカ』『刀剣乱舞』のような一般作品の方が有名です。しかし、本作品は、ニトロプラスがもともと制作していた、『沙耶の唄』のような、一般の人には勧められない(勧めてはいけない)タイプのゲームです(年末年始に遊ぶゲームでもありません…)。
 
主人公である種崎捨は、「絵にも描けないほど醜い外見」のため、地方の名門校のクラスでいじめられている生徒です。彼は常に俯いて生活していますが、その理由は、彼が人の心(文字として表示される)を読むことができ、顔を上げると見える誹謗中傷に耐えられないためです。
 
この設定のため、基本的に主人公は、人がいるところでは自分の足下を見ています。また、ゲーム内では、時折、顔を上げて相手の心を読むか否かの選択肢が現れ、プレイヤーがどちらかを選ぶことで、物語が分岐していきます。本作品の革新性の一つは、このゲームシステムにあります。
https://www.youtube.com/watch?v=ms9MTSs438o
 
優しい声をかけてくれていた生徒に裏切られたことをきっかけに、主人公は、人の心を見る力と強い憎悪に基づいて、いじめの首謀者に復讐し、学校内の支配体制の転覆を目指します。『赤と黒』や『ゴリオ爺さん』、マンガだと『僕の地球を守って』、ビジュアルノベルだと『G線上の魔王』のような、「恵まれていない階級の学生たちが、社会的運命の重みに押しつぶされる可能性がきわめて高いにしても、例外的には、過剰な不利益をむしろバネにしてこれを乗り越える方向へ向かう」(ブルデュー&パスロン『遺産相続者たち』)タイプの話です。ただ、主人公の容貌という点では、エルフの作品のキャラクターに近いかもしれません。
 
ゲームの展開の最初では、学校内のスクールカーストが主題化されますが、いくつかのルートをたどる中で、この学校の支配体制が、政治、教育、経済、宗教、暴力組織のような、よりマクロで相互依存的・重層的な権力構造の維持のために作られた仕組みであることが見えてきます。また、プレイを通して、主人公がなぜいじめられるのか、なぜ人の心を読む能力を持っていたのか、主人公が本当に望むことは何か、自分を取り巻く支配体制をどう変えていけばよいか、という問いに対する答えが見えていきます。
 
見るのが本当に辛いルート(特に、ヤクザの一人娘のルート)があり、また(率直に言って不必要に長い)性的シーンはかなりスキップしましたが、「萌え」やハーレム的な優しい世界などを前景化することで見えづらくなっていた、暴力やリビドー、不信や不安、排除のような人間や人間関係のあり方を描く、日本の18禁PCゲーム文化の特異性を鋭く表現した作品になっています。キャラクターに対する萌えなどはまったくありませんが、いじめや暴力のような、現実の文脈を(再)体験したり、自分がどう感じるか、自分だったらどう行動するか、未熟だったときの自分ならどう感じたか、などを考えたりすることはできます。
 
10人のうち9人が、あるいは100人のうち99人が、不快感や嫌悪感を抱く作品ですが、1人には強く刺さる作品です。泥の中に咲く蓮のような、人間の醜さや絶望の果てにある美しさや希望が際立つ作品です。True End到達後に見ることができるライナーノーツ(解説文)で、脚本を書いた下倉バイオさん自身が、「世の中に出るために多数の人間に色々揉まれてガンガン配慮されてエゴみを削られていって最終的に世の中に出た商品は配慮の分厚いコーティングでエゴの輝きが完璧に掻き消されていました、みたいな感じもありがちな昨今」にもかかわらず、「スタッフのみなさんもう少し配慮でエゴみを削って下さい!」と思わず叫んでしまうような、尖った(まま世に出された)作品です。こうした作品を一般の人もぜひプレイすべき、とは一切思いませんが、こういう作品によって救われる、あるいはこういう作品によってしか救われない人もいるとは思います。こうした表現が生まれる余地を残しておくことは、社会にとっても必要なことと思います。

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