山田真茂留, 『非日常性の社会学』(学文社, 2010)のメモ。
https://www.gakubunsha.com/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7620-1806-0
時間的には稀に、空間的には限定された範囲で生起する「非日常性」に関する研究です。
・日常性を維持、刷新する要となる「非日常性」は、どのような形で存立し、個人と社会にとっていかなる意味を持っているか?
・近代化によって、「非日常性」はどのように変容し、現在どういった状態にあるか?
という問いを、聖なるものや遊び、騒乱、多元的現実について考察してきた、デュルケムやバーガー、カイヨワ、ギュルヴィッチ、シュッツらの社会学理論の整理に基づいて考察しています。
非日常と日常を説明するために、「聖と俗」「遊と俗」「乱と俗」「夢や幻想の世界と日常生活世界(至高現実)」等の概念が作られてきましたが、これらを「日常/非日常」の二元図式でまとめています。また、この図式の利点として、「従来の多元的現実論の要点を包摂すること」「生活者も利用する基本的分節であること」「世俗化という社会動向も説明できること」などが挙げられています(51-54頁)。
日常と非日常は、「反復性」の有無によって区別されています。文中では、「規則的・反復的に行われ、個人や社会の意味世界の維持に直接結びつく行為」が日常的行為、それ以外の行為が非日常的行為であると説明されていますが(89頁)、非日常的行為も、個人・社会の意味世界(≒経験的・想像的世界の内容を表現する意味や価値の体系)の維持に貢献することが指摘されています(#)ので、反復性や規則性をもって、日常と非日常が区別されていると見て良いと思います。
(#)たとえば、年に数回行われる宗教的儀礼やお祭りなど。
また、日常性と非日常性に関連づけられる概念に、「社会性/個人性」というものがありますが、著者は、個人的な夢や幻想などの領域のみを非日常性と認めることは、「日常性/非日常性」を生活者による基本的な分節として設定した意図に適合しなくなってしまうと言います。なぜなら、宗教的儀礼やロックのライヴ、スポーツ、革命のように、社会的・共同的な非日常というものが存在するためです。そこで、著者は非日常の三類型として、「個人的な非日常性」「社会的な非日常性」「マイノリティの依拠する<自明領域>」を提示しています。
こうした枠組を用いて、著者は現代社会の変化を、「日常化した非日常性」という言葉で表現します。これは、パーティー、スポーツ、ゲーム、お祭りなどの非日常的なものが次から次へと求められ、すぐに捨てられ、また新たな非日常が依存的に求められるような態度や習慣が日常化することです。ユールが『カジュアル革命』で述べている「ビデオゲームの日常化」という現象はこの事例でしょうし、マユラらの「Ludic Society」という概念もこの事態を説明するものであると思います(マユラらはこれらの概念をどちらかというと肯定的意味で用いていますが)。
136頁という短い本ですが、非日常について社会学的に論じてきた研究者の学説が簡潔にわかりやすくまとめられています。また、ゲームや遊びと社会の関係、その歴史的変化を、ゲームからやや離れた視点から語る際にも参考になる著作であると思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。