以下は、日本デジタルゲーム学会『デジタルゲーム学研究』9巻1号(2016年、45-47頁)に掲載された、ミア・コンサルヴォ『Atari to Zelda: Japan's Videogames in Global Contexts』の書評です。
採録後の掲載原稿の転載を許諾している同学会誌の投稿規定に基づき、転載します。
(ずいぶん前の原稿ですが、転載するのを忘れてました…)。
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Mia Consalvo
Atari to Zelda: Japan's Videogames in Global Contexts
The MIT Press (2016年)
1.概要
『アタリからゼルダへ――グローバルな文脈における日本のビデオゲーム』は、インタビュー調査やゲームの構造分析に基づいて、ビデオゲームをグローバル文化にした要因である、東洋と西洋の複雑な相互作用を考察した研究書である。本書は、主に次の三つの問いを探究している。
① 日本のビデオゲームが、西洋=欧米圏(特に北米)のゲーム産業やプレイヤーに与えた影響
② 日本のゲームの現地化(現地の言語や文化に合わせて作り変えること)過程
③ ②の必要条件としての「コスモポリタン的気質」と「文化ブローカー」
本書は、序章を含む全9章で構成されている。序章で本書の目的、分析枠組、全体の構成が説明され、1~2章でプレイヤー、3章でゲーム、4~7章でゲーム産業が分析される。最後に8章で、全体の要約と、「日本らしさ」という観念の意味の複雑さ、ファン活動を含む、多様な地域の多様なゲーム産業について語ることの必要性、本書が提示した「コスモポリタン的気質」「文化ブローカー」という概念の意義、ゲーム研究がグローバリゼーション研究に果たしうる役割などが説明されている。
なお、本書の題名中にある「アタリ(Atari)」は、言うまでもなく、任天堂以前に家庭用ゲーム・ゲーム機を販売していた企業のことである(この社名は囲碁用語の「アタリ」から取られている)。同社のゲーム機の人気が1980年代前半に急激に落ち込んだ後に、なぜ日本のゲームが北米で受容されたか、日本と北米のゲーム開発者とプレイヤーの間にどのような相互作用・影響があったか、という著者の問題意識が、題名に反映されている。
2.著者について
ミア・コンサルヴォ(Mia Consalvo)は、カナダのコンコルディア大学の教授で、専門はメディア・コミュニケーション研究、ゲーム研究、ゲームデザインである。2012年から2016年まで「デジタルゲーム学会(Digital Games Research Association, DiGRA)」の会長を務めた。
単著に『チート行為:ビデオゲームで優位に立つこと』(MIT Press)、共著に『スポーツ・ビデオゲーム』(Routledge)、『プレイヤーとペット:β版からサービス終了までのゲームプレイ・コミュニティ』(University of Minnesota Press)、『インターネット研究ハンドブック』(Wiley-Blackwell)がある。
3.各章の概略
序章 浮世が西洋に移動する
本書の問い(なぜ日本のゲームが北米で受け入れられたのか)、先行研究、全体の概要を説明している。また、グローバリゼーションやコスモポリタニズムに関する理論や、芸術やポピュラー文化の文化越境や現地化、「クールジャパン」に関する研究を整理して、独自の分析枠組みを構築している。
1章 コスモポリタニズムと共にプレイすること:日本のビデオゲームと北米のプレイヤー
北米プレイヤーがなぜ日本のゲームを好むようになったか、彼・彼女らがどのように日本のゲームを語っているか、日本のゲームへの関心が、ゲームをプレイしていない時に彼らをどの方向に向かわせるかを検討している。
北米プレイヤーが日本のゲームを通して日本文化や日本語に関心をもつ過程を分析して、異文化に関心を拡げていく彼らを、現代のコスモポリタン的市民の典型である、と主張している。
2章 意図されていなかった旅行:日本ゲームのROMハッカーとファン翻訳者
英語圏の人びとが日本ゲームに接近しやすくなるためにそれらを翻訳しているプレイヤーに焦点をあてている。
著者によれば、ROMハッカーとファン翻訳者は、ゲーム産業が可能と考えていたより多くの日本ゲームを西欧に持ち込むことを支援する、熟練した作業を行っている。これによって、彼らはゲームの歴史を書き直し、豊かなものにしている、と説明している。
3章 日本のゲームをプレイすること
北米で販売されている、据置型・携帯型ゲーム機向けの日本のゲームを分析している。具体的に、「二ノ国」「ディーエムシー デビルメイクライ」「ゲーム発展途上国」「極限脱出 9時間9人9の扉」「ファイアーエムブレム 覚醒」が取り上げられ、日本のゲームのイノベーションがどこから生まれているか、ゲーム研究が現在のゲームについていかに書くべきか、という問いを検討している。
4章 JRPGに関する大騒ぎ:スクウェア・エニックスと企業によるビデオゲームの創造
AAA(トリプルエータイトル、莫大な予算をつぎこんだゲーム)の分野に切り込み、スクウェア・エニックスの活動を分析している。
スクウェアとエニックスの歴史、両社の異なるアプローチ、現在の合併会社がグローバル市場でいかに競争力を維持しているか、を説明している。両社の成功の鍵が「コスモポリタン的気質(cosmopolitan disposition)」への変化であること、この気質が企業にリスクを取らせ、変化にオープンで前向きにさせていることを明らかにしている。
5章 現地化:異質なものを身近にすること
ファン活動とプロの仕事をつなぐ分析を提示している。ファン翻訳者の議論から始めて、現地化の歴史を説明し、さらに小規模なDIYの現地化スタジオと大企業の活動を比較している。
参加型文化と新しいオンラインネットワークが、現地化作業の状況を変化させ、受益者の範囲を拡大させた過程を説明している。また、独立系企業Carpe Fulgurとカプコンの作業の分析を通して、どの日本らしさの要素を翻訳するかを判断するプロである「文化ブローカー(culture broker)」の誕生を考察している。
6章 日本のコンソールゲーム産業:カプコンとレベルファイブ
カプコンとレベルファイブという二つの企業を通して、日本のゲーム産業を分析している。AAAコンソール産業というより広い文脈の中で両社の事業活動と戦略を比較し、西欧市場で競争力を維持しゲームを販売するという問題にいかに両者が取り組んでいるかを、詳しく考察している。
ゲームに日本らしさを残すアプローチや、ある市場で日本らしさを消し別の市場でアピールするアプローチを整理し、「日本らしさ」という概念が、企業が常に取り組まなければならない扱いにくい概念であることを指摘している。
7章 ゲームの構成要素:西欧の開発者と日本ゲーム
日本ゲームが西欧の開発者やそのゲームデザインに与えた影響を考察している。開発者が日本のゲームについてどう考えているか、自分たちのゲームに日本ゲームの要素をいかに取り入れたか、あるいは日本ゲームの要素に対抗していかに自分たちのゲームを開発したか、を分析している。
分析の結果は、開発者の世代の影響や、日本ゲームのいくつかの要素が普遍的に優れており、別の要素が日本らしいものとして尊敬されていることを示している。
8章 結論
本書の論点を整理し、「日本らしさ」という観念の意味、グローバリゼーション理論の中でゲーム研究が果たしている役割の重要性、「コスモポリタン的気質」「文化ブローカー」という概念の中心的役割を説明している。また、下記のことをゲーム研究に求められることとして指摘している。
・デジタルゲーム産業を単数形で語ることをやめること
・ROMハッキングやDIYによる現地化を含む、多様な地域の多様なゲーム産業について語ること
著者によれば、ゲーム産業を記述・概念化する方法が多様化していることは、研究対象の複雑性が増大していること、及び、単純な解答や分析枠組を退けることが必要であることを示している。
4.評価
本書の特徴の一つは、その射程の広さや深さである。日本のゲームが、北米のゲーム開発者やプレイヤーにどのように受け入れられ評価されるようになった過程に関する著作には、『Super Mario(邦訳:ニンテンドー・イン・アメリカ)』や『Millennial Monsters(邦訳:菊とポケモン)』などがある。しかしこれらの大半は、任天堂や、そのゲームのファンに関する著作である。北米の日本ゲームやゲームプレイヤーの多様性、各ゲーム会社の経営戦略(特に現地化戦略)の相違、日本の同人ゲームの生産・現地化・受容といった幅広いテーマを扱った研究は、増えてきているとは言え、世界的にも多くない。日本のゲーム、プレイヤー、産業の社会科学的分析に関心を持つ読者にとっては、本書の主題の多彩さや実証的データ、先行研究のレビュー、分析枠組は、それぞれの研究を進めていく上で、大いに参考になるだろう。評者自身も、日本の同人ゲームがCarpe Fulgurなどの独立系企業によって翻訳され英語圏に発信されていく過程を日本側から見ていたため、「北米側」からそれがどのように展開されたかを解明した本書の知見は大いに参考になった。
本書の二つ目の特徴として、ゲーム研究を、ポピュラー文化研究やグローバリゼーション研究の文脈に位置づけていることを挙げることができる。本書は、「日本らしさ」を輸出しさえすれば、海外の人びとが喜んで受け入れてくれる、といった通俗的「クールジャパン」論の単純さを批判している。この議論の代わりに彼女が提示するのが、日本や北米の企業やプレイヤーが実行している多彩な現地化戦略――たとえば、日本らしさを一部「取り除く」ことなど――や、その策定・遂行のために求められる資源――「コスモポリタン的気質」や「文化ブローカー」など――の分析である。著者によるゲーム研究と文化研究の接続可能性に関する提案は、ゲーム研究の学術的意義を考える者に新たな視点を提供してくれる。一方で、日本のゲームを海外展開したいと考える企業にとっても、本書は単純な「クールジャパン」論以上の実用的情報を提供している。
本書は、ゲームプレイヤー・企業・産業の戦略・実践の多様性、多様な主体(プレイヤーと企業、西洋と東洋など)の相互作用を分析し、ゲーム文化・産業を語るための枠組を構築しようとしてきた著者の集大成的研究である。世界のゲーム研究やポピュラー文化研究の成熟を理解し、それらの蓄積に基づいて研究を進めたいと考える者には、本書は有用な知識をもたらしてくれるだろう。
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