最初に本リストの背景にある、ユールやアンナ・アンスロピー(Anna Anthropy)の主張を論述します。ただ、かなり長いので、リストにのみ関心がある方は、ここは飛ばして、リストを見てもらえましたらと思います。
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ユールは、2005年頃に、形式的・審美的戦略の点で、独立系ゲームが「美的に独立した(aesthetic independent)」と述べています(『Handmade Pixels』12頁)。美的に独立したというのは、独立系ゲームが財政面で独立している(financially independent)だけでなく、「独立したスタイル(Independent Style)」を獲得したということです。
「独立したスタイル(様式・表現形式)」は、写実主義に向かうことをビデオゲームが運命づけられているという通念(common idea)との断絶を表現しています。このスタイルは、メインストリームの大予算ゲームから離れ、ビデオゲーム史の初期のローテクでチープなグラフィックやビジュアルスタイルを模倣するために現代の技術を利用します。言いかえれば、このスタイルを持つ独立系ゲームは、現実の完全な再現を目指すフォト・リアリズム(PS5のデモで表現されたような高精細3Dゲーム)でなく、『洞窟物語』のようなピクセルアートに向かったということです。また、「独立したスタイル」を持つゲームは、メインストリームのゲームと比べ、プレイヤーとより近く、本物らしく、誠実であることを示している(示そうとする)、とユールは述べています(38頁)。
さらにユールは、2012年頃に社会的・文化的・政治的・イデオロギー的な文脈との関係で自らを位置付けることで、独立系ゲームが「文化的に独立した(culturally independent)」と述べています。これは独立系ゲームが単により素晴らしいゲーム(better games)として提供されるだけでなく、文化的・政治的・道徳的な希望(promise)をもたらすものであることを意味しています。たとえば、独立系ゲームがゲーム制作者により素晴らしい満足のいく生活を提供したり、人々の多様な体験をより表現したり、世界をより良い場所にしたりするということです(12~14頁)。
ユールによると、2012年には、独立系ゲームの2005年モデル(「独立したスタイル」に基づいて過去のプラットフォーム(ジャンプ)ゲームを再解釈したもの。『Braid』『Super Meat Boy』『Fez』など)は時代遅れになっていました。商業的に成功したインディーゲームやその制作者を取り上げた『Indie Game: The Movie』(2012年)も、多様性(ダイバーシティ)が語られるようになった後に批判にさらされるようになります。たとえば、アンナ・アンスロピーは、この映画が取り上げた制作者の物語は良い物語だけれど、ゲーム制作の一つの物語に過ぎない、と述べます。その物語とは、スーパーマリオを遊んで育った異性愛者の白人男性たち(straight white guys)が、生活を犠牲にして、商業市場での売上のために、個人的だけれど伝統的なビデオゲームを作っている、というものです。また、彼女は、「インディー」というラベルが、ほとんどの人が加入することが許されない小規模な排除的クラブを意味するものとして使われ始めている、と指摘しています(101~106頁)。
独立系ゲームに対する内部批判に基づき、近年では、商業的成功を目指す「インディーゲーム」ではなく、より小規模で実験的なゲームを評価する独立系ゲームのコンテストが増加しています(itch.ioのようなプラットフォームも)。また、「パワーファンタジー」と呼ばれる力を持つ人びと(英雄など)が活躍するゲーム(典型は『Fate/Grand Order』)でなく、力を持たない人びとの生活を描くゲーム(『Cart Life』や『Papers, Please』、より最近の作品だと『Night in the Woods』)を評価する傾向も見られます。とりわけ、「IGF」や「IndieCade」の後に、ドイツのベルリンで2012年から開催されるようになった「A Maze.」は、他のイベントより非商業的な志向を持っています。イベント主催者であるThorsten Wiedemannは、自分たちが「インディーというよりは、よりオルタナティブで実験的である」と語り、またその理由として、「インディーはよりメインストリーム(mainstream)に近く、製品を作り出そうとしているから」と述べています(110~111頁)。「A Maze.」の性格は、2020年の「MOST AMAZING AWARD」受賞作である、終末的な異世界の高校を舞台にしたデートシム「Nightmare Temptation Academy」(閲覧注意)にも見ることができます。疎外、うつ、自殺等の主題や成人向表現を含み、ほとんどのプレイヤーに「楽しさ(fun)」より「不快さ」をもたらすと思われる本作品は、「ビデオゲームとは何か」に関する私たちの通念を問い直す実験的なゲームであるといえます。
なお、自身がトランスジェンダーであるアンスロピーは、その著書『Rise of the Videogame Zinesters』(2012年)で、ビデオゲームが少数の似たような背景を持つ人々(特に、ゲーム会社に勤める異性愛の白人の男性)によって作られてきたことを批判し、より小規模で、個人的で、(ジェンダー、セクシュアリティ、民族・人種、階級、職業などの点で)多様な社会的背景や体験を持つ人びとが、自らの個人的体験、物語を語ったビデオゲームを作ることを呼びかけています(本書は、独立系ゲームの歴史だけでなく、ゲームの作り方や広め方、ホビイスト向けゲーム制作ツール「Klick & Play」「Gamemaker」「Twine」の使い方なども解説しています)。「文化的に独立した」独立系ビデオゲームーー「パーソナルゲーム」や「アートゲーム」などと呼ばれるもの――の隆盛の要因の一つは、アンスロピーの本書や様々な活動の影響があったと考えられます。 ユールが、2012年を独立系ゲームが「文化的に独立した」年と考える理由の一つも、アンスロピーの著作の刊行がこの年だったことではないか、と思われます。
(なお、私も2013年に提出した博論で、アンスロピーの著作を分析枠組みの一つとして利用しました)。
近年の独立系ゲームの動向を理解する上で、ユールやアンスロピーの著作は、必読であると考えられます。また、ユールの著作に基づいて作成した下記リストも、独立系ゲームの動向を理解する上で、社会的に、また学術的に参考になると思います。
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IGF Grand Prize | IGF Nuovo | IndieCade | A MAZE. | |
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1999 | Fire and Darkness | |||
2000 | Tread Marks | |||
2001 | Shattered Galaxy | |||
2002 | Bad Milk | |||
2003 | Wild Earth | |||
2004 | Savage: The Battle for Newerth | |||
2005 | Gish | |||
2006 | Darwinia | |||
2007 | Aquaria | |||
2008 | Crayon Physics Deluxe | Gravitation | ||
2009 | Blueberry Garden | Between | Moon Stories | |
2010 | Monaco | Tuning | Groping in the Dark | |
2011 | Minecraft | Nidhogg | Fez | |
2012 | Fez | Storyteller | Ummanned | Proteus |
2013 | Cart Life | Cart Life | Quadrilateral Cowboy | Spaceteam |
2014 | Papers, Please | Luxuria Superbia | Hack 'n' Slash | Perfect Woman |
2015 | Outher Wilds | Tetrageddon | Her Story | Curtain |
2016 | Her Story | Cibele | 1979 Revolution: Black Friday | Cosmic Top Secret |
2017 | Quadrilateral Cowboy | Oikocipiel, Book 1 | Oikocipiel, Book 1 | Everything |
2018 | Night in the Woods | Getting Over It with Bennett Foddy | Bluebeard's Bride | Attentat 1942 |
2019 | Return of the Obra Dinn | Black Room | Dicey Dungeons | Kassinn |
2020 | A Short Hike | The Space Between | Nightmare Temptation Academy |
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