2020年12月31日木曜日

映画『鬼滅の刃 無限列車編』感想

下記は、Facebookに11月に投稿した映画『鬼滅の刃』に関する記事に、若干加筆したものです。2020年中に投稿しようとしていて、大みそかになってしまいました。。なお、若干、映画のネタバレがありますので、気になる方は読まないようにしてください。


鬼滅の刃 無限列車編』を見てきました。煉獄さんが格好良かった!(小学生並みの感想) パンフレットやジグソーパズルなども買いました。

2019年の春に、本務先の新入生合宿の付添で乗ったバスの中で、学生が好きなマンガとして挙げたのを聞いて、本作品に興味を持ちました。当時、『火ノ丸相撲』を読むためにジャンプを買っていたので、『鬼滅の刃』は読んでいなかったのですが、たまたま相方が電子版コミックを購入していたので読ませてもらい、それからファンになりました。コミック派ですが、アニメも好きです。

ややネタバレになりますが、無限列車編では、母親の信念を受け継ぎ、自らの力を弱き人を助けるために使う煉獄杏寿郎と、弱者を嫌い、自らの力を自分自身のためにのみ使う鬼である○○○との対比が明確に描かれます。

杏寿郎とその母の信念、「力を持つ者が、人を傷つけたり私腹を肥やしたりするために、自らの力を使うことは許されない」という社会民主主義的な理念は、『鬼滅の刃』という作品の方向性を決定づけた、近年聞くことのない本当に大切な考え方だと思います(※)。また、そのような理念を嗤う冷笑的な価値観――強きを助け、弱きを挫く――が浸透した時代を生きる今の子どもたちや若い人たちにとっては、杏寿郎たちの言葉は、もしかすると生まれて初めて聞く新鮮なメッセージだったのかもしれません。作者が女性ということも、非常に重要と思います。

(※)すでにどこかで語られていることかと思いますが、私自身は世代的に、小学生の時に読んだ『ジョジョの奇妙な冒険』第1部(1986年~)や、その主人公ジョナサン・ジョースターのことを思い出します。

「海賊王」を目指すルフィのような、力や地位を求める個人主義的・新自由主義的なキャラクターを描く物語ではなく、鬼にされた妹や鬼に命を奪われた人のために戦う人間や、人の道を外れた(外れざるを得なかった)鬼の社会的事情を描く作品が好まれるようになったことの背景には、特別さを目指すことのむなしさやありふれた社会関係の大切さの実感、コロナ禍の中で公共的使命のために献身的に働く人びと(看護師、介護士、公務員、清掃業者の方々など)に対する注目があるのかもしれません。大阪都構想を巡る住民選挙や米国の大統領選挙の結果からも、同様の傾向を感じました。今後も揺り戻し(バックラッシュ)は常にあると思いますが。

なお、本編で出てくる○○○は、煉獄さんとの因縁から登場以来ずっと嫌われたりバカにされたりしていたキャラクターでしたが、強者を目指し弱者を嫌う価値観の形成過程が後に描かれ、読者に非常に強い衝撃を与えました。アニメや映画で関心を持った方には、是非、マンガも読んでいただきたいです。

 
 

引用: 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』8巻

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